願い事をするにも色々とあります。
神社への合格祈願や身近な人の健康だったり。
てるてる坊主で天気を願ったり。
七夕だから短冊にお願い事書いたりします。
これら願い事は神様が叶えてくれるわけではないと思います。
自分の努力などが結果として出てくるのです。
願い事ばかりで通用するような簡単な世界ではありません。
神に願い事をしても意味がないからするなとは言いません。
そんな神頼みでもそれだけ今まで頑張ったから何とかお願いしますって自分への自己暗示に過ぎません。
神への願い事
願い事にも2種類あると思います。
まずは自分への願い事
希望する学校に合格しますように
宝くじが当たりますように
健康でいられますように
好きな人と両想いになれますように
など自分への願い事が多いでしょう
身近な人への願い事
○○さんの病気がよくなりますように
○○さんを助けてください
○○さんが希望する学校や会社に合格しますように
など願い事にも色々とあります。
色んな願い事をしてそれを叶えてくれるのは自分の実力です。
願い事したから叶ったんだって思っても良いですが、実力です。
お願いごとの前に感謝
神様にお願いしたから願いが叶ったんだって思ってる幸せな人はそれでいいでしょう。
でも全て自分の実力なのです。
希望する学校や会社に入れたのも入れなかったのも全て自分のせいです。
自分の非を認めない人は進歩がないでしょう。
まず願い事ができるまでがんばれた自分を作ってくれた神様に感謝です。
勉強できる環境など、健康な体をくれた神様に感謝もしないで願い事ばかりしている人は幸せから遠いい人になります。
まずは神社などに行って神頼みするならまずは感謝です。
あとの願い事が叶うか叶わないかは自分次第です。
さんざん遊びこけてて願い事ばかりで叶っていたら凄いことです。
極稀にそんな人もいるかもしれません。
だけどそこまでがたまたま調子良かっただけです。
これから先はどうなるかわかりません。
神は居るのか
私もたまに神頼みしますが、居るとは思っていません。
自分に暗示をかけてるにすぎないです。
神様がいたら津波や天災で生まれたばかりの人など子供が死ぬわけがないです。
大人が過去の過ちとして罰を与えられて死ぬのは仕方ありません。
でも人生経験もない子供が死ぬって神様がいるんですか?
子供が死んだことによって親にはものすごいバツです。
でもそれって間違っていませんか?
親が死ぬのなら良いですが、子供が死ぬっておかしくないですか?
天災でなくても生まれつきの難病だとか。
人間は神様がいなくても進歩した
人間って移動手段は昔は歩くことしかなかったです。
それが馬などを使うようになりました。
川を下るときだけ川の流れを利用して船での移動も可能になりました。
エンジンを開発して車を使ってきたし今では宇宙にも行ける。
これは神様に祈ったから成し遂げられたものではないです。
全て人間の実力です。
この世に性を授かって、ここまでの進歩を成し遂げられる知能を与えてくれたり、そこまでできる健康を与えてくれた神にまずは感謝です。
自分以外の人のために祈る
○○さんが助かりますように
○○さんの病気がよくなりますように
○○さんが希望する学校に入れますように
など自分じゃなく人のことを心配しての神頼みは良いでしょう。
でもその願いが叶ったからって神様に祈ったからではありません。
最もひどいのは私がお願いしたから○○さんは生きてるのよ。
って自分が神頼みしてやったからって恩着せがましく言うことです。
まるっきりの神頼みって全てを投げ出して祈りに任せてるだけですよね?
全て他人任せです。
自分で頑張らないで人任せっていうのは幸せにはなれません。
なんでも後悔しないように全力で頑張ってそれでだめならしょうがないんです。
頑張りもしないで神頼みって最悪です。
何でも願いが叶っても叶わなくても自分の責任です。
そのことを知った上で神様に願いましょう。
まずは感謝です。